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韓国のベトナムでの蛮行暴いた新聞社 韓国軍OBに襲撃された

韓国のベトナムでの蛮行暴いた新聞社 韓国軍OBに襲撃された

 ベトナム戦争で韓国は米国に頼み、32万人を当地に派兵した。そして、韓国軍によるベトナム戦争中の大量虐殺事件は、現代史の一大汚点である。韓国軍はベトナム全土で、約100か所、推計1万人から3万人の大量虐殺事件を起こしている。

 ベトナム現地での明確な証言・証拠があるにもかかわらず、韓国ではこれまで、ベトナムでの残虐行為について言及することはタブーとされてきた。そして、このタブーを破る者には、暴力の制裁が待っていた。

 主に海兵隊OBから成る通称「枯葉剤戦友会」は今から15年前、ベトナムでの「真実」を暴いた韓国の報道機関を襲撃し、言論封殺を試みた。驚くべきは、この暴力組織と朴槿恵大統領が蜜月関係にあることだ。

「韓国軍はベトナムで何をしたのか」。韓国最大のタブーに挑んだのは、リベラル紙『ハンギョレ』が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。

 1999年5月、ベトナム在住の具秀ジョン・通信員が報じた韓国軍の「ベトナム人僧侶虐殺事件」は韓国社会に大きな衝撃を与え、その後も他の記者やベトナム参戦者を巻き込み、たびたび同誌誌上で検証記事が掲載されるようになった。その一部を要約・抜粋する。

<1969年10月、ベトナム南部のリンソン寺に現われた韓国兵が尼僧にいたずらをしようとした。居合わせた僧侶がそれを咎めると、韓国兵は逆上し銃を乱射、僧侶を含む4人が殺害された。遺体は燃やされた>

<1966年11月9日、ベトナム中部クァンガイ近郊の村にやってきた韓国軍は村の男たちを一か所に集めた。韓国兵は13歳の男の子に何かまくしたてていたが、言葉が分からない男の子は黙りこくったままだった。すると、韓国兵は男の子をその場で撃ち殺した。女や子どもたちは韓国軍からキャンディや菓子を与えられ安心しているところを銃殺された>

 次々と明かされる驚愕の真実に韓国の人々は言葉を失った。こうした一連の報道に激怒したのが、ベトナム参戦者により構成される「枯葉剤戦友会」を主体とした極右暴力組織だった。

 2000年6月27日午後2時、枯葉剤戦友会会員を中心とした迷彩服姿の男2400名が鉄パイプや角材を片手にソウル市内のハンギョレ本社を包囲。機動隊との睨み合いが続く中、抗議活動は徐々にヒートアップし、暴徒化した一部が一瞬の隙をついて社屋へなだれ込んだ。

 建物に侵入した彼らは窓ガラスを次々と叩き割り、パソコンや印刷機などあらゆる事務機器を破壊、16万枚に及ぶ書類を燃やし、送電を遮断して同社の業務を半日に亘り中断させた。

 それでも怒りが収まらない彼らは、同社の駐車場にある2台の車を横転させ、別の1台に火を放った。同社の幹部は建物内に監禁され、社員十数名に負傷者が出た。これはもはや抗議活動ではなく常軌を逸した暴動だ。

 だが、これだけ大規模な破壊行為があったにもかかわらず、警察に連行されたのはわずか42名。身柄を拘束された者は4名しかいなかった。

 翌日、事件を大きく報じたのは当事者の『ハンギョレ』と『中央日報』のみ。他の大手紙報道はさめざめとしたもので、保守系の『朝鮮日報』に至っては、事件翌々日の社説で「参戦勇士への政府支援が必要」と戦友会への“配慮”を見せる有り様だった。

 たとえどのようなスタンスであれ、報道機関ともあろうものが暴力による言論弾圧を糾弾しないのはあまりに不自然だ。

■藤原修平(韓国在住ジャーナリスト)と本誌取材班

※SAPIO2014年8月号

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韓国は日本の戦争責任について執拗にクレームをつけ、自らが「被害者」であることを世界中でアピールする。その一方、韓国軍によるベトナム戦争中の大量虐殺事件は、現代史の一大汚点であるにもかかわらず、韓国ではこれまで、ベトナムでの残虐行為について言及することはタブーとされてきた。


 そして、このタブーを破る者に暴力の制裁を加えていたのが、主に海兵隊OBから成る通称「枯葉剤戦友会」だ。


 正式には「大韓民国枯葉剤後遺疑症戦友会」と称する会員数約13万人のこの団体は、1993年3月に制定された「ベトナム参戦枯葉剤後遺疑症患者の支援等に関する法律」に基づき設置された法定団体で「海兵隊枯葉剤戦友会」を母体とする。


 現在の名称になったのは2000年4月だが、ベトナム戦争で多数の民間人を殺戮した「青龍部隊」が韓国海兵隊第2師団の別称だったことはよく知られている。


 枯葉剤戦友会の設立目的には「枯葉剤後遺疑症患者らが人間らしい暮らしを営むための支援」のほか「国民の興国精神を育み、愛国心を鼓吹し、国家の発展に寄与する」と謳われている。


 ところが、今やこの団体は単なる軍人OB組織ではなく言論封殺のための「極右暴力組織」として認識されているのだ。韓国紙記者が語る。


「彼らは米国の枯葉剤製造業者を相手取って総額3857億ウォン(約385億円)の民事訴訟を行なっていたのですが、その裁判の上で一連の報道が不利に働いた。それでハンギョレ新聞社を襲撃したのです。


 枯葉剤戦友会は自分たちの不利益になる言論を封じるために手段を選びません。デモや抗議活動の際は鉄パイプや消火器、ガスボンベを携行し対抗勢力を威嚇するのが常套手段です」


 枯葉剤戦友会の攻撃対象はマスメディアだけではない。1992年に韓国で公開され、東京国際映画祭でグランプリを受賞した映画『ホワイト・バッジ』も激しい非難に晒された。


 この作品は、ベトナム参戦兵の苦悩を描き40万部以上の大ベストセラーとなった同タイトルの小説(原作・安正孝氏)を映画化したもので、韓国兵による民間人虐殺のシーンがリアルに再現されている。


 その中でもとりわけ残酷なのが、農民一家がベトコンに間違われ韓国兵の機銃掃射を受けるシーンだ。幼い子供や老人が銃弾に倒れ、その傍らで子供の両親と思われる男女が泣き叫ぶ。


 韓国兵は民間人を殺害したことに気づき動揺するが、「どうせ殺すんだ。(この場で)殺せ!」という上官の命令で生き残った農民をサバイバルナイフでめった刺しにすると、武功として耳を削ぎ落とした。


 かつてベトナムを取材したノンフィクション作家の野村進・拓殖大学国際学部教授は、映画のシーンと同様の体験をした人々から韓国軍の残虐性を物語る証言を得ている。


「ベトナム南部のニンホア県ラクアン村出身の男性は12歳の時に韓国軍の急襲を受け、両親と3人の妹を亡くしました。村にやってきた韓国軍は大人子供関係なく、いきなり銃を乱射したそうです。


 我々の話を近くで聞いていた老人は、『(韓国兵は)死んだ人間の耳を切り落とした。鼻をもがれた者も、首を狩られた者もいる。そんなことは、どこでもあった』と話していました」


 映画はベトナムでの韓国軍の蛮行をありのままに描いていたというわけだ。枯葉剤戦友会は、この作品を手がけた監督の鄭智泳氏に対し執拗な抗議を重ねたという。鄭氏は映画の公開に前後して、複数のメディアに対し次のように語っている。


「ベトナム戦争は韓国現代史における恥部だ。しかし、若い世代に偽りの歴史を教えることはできない。韓国のベトナム派兵を知らない若者すらいる。


 この映画は史実を再検証するために作った。戦友会から『なぜ韓国の暗部を掘り起こすのか』という抗議もあったが、全部史実に基づいたものなので無視した」


※SAPIO2014年8月号



by akikomichi | 2014-07-18 11:29 | 日記 | Comments(0)