神社と公民館のちがい


田母神閣下の政治理念において国防に関しては、同意するところが多いというより、現場を体験されているので、その目は確かであると思われる。

がしかし、(良い悪いは別にして)戦後、神社から公民館に移った集会所的役割として、公民館は学校や市役所や図書館の補助的役割を担っているというところで、若干、付け加えさせていただくならば。

村祭り的なものは神社で昔からなされており、今も受け継がれている所は多くあるが、子育て支援事業などは特に、神社の役割としては、寺子屋的なものはあったのであろうが、おかあさんや友達といっしょに絵本を読んだり、遊んだり、サークル活動(文化系・体育会系)をする場として機能する公民館は、より多用途性があるとおもわれる。神社では成し得ない役割ではなかろうかと思われる。

福岡市に関しては、職員は、館長、主事は市役所の出先機関の職員的扱いであるが、補助要員はいわゆる最低賃金制である。

どこぞの一千万ももらえるという役所のものとはちがい、質素である。

また、ボランティアに多く依存している。

公民館は、戦後GHQが狙ったとおり、宗教性や政治色や営利目的を極力避けての、無味無色的なものではあるが、空っぽの器としては、神社的であるといえよう。

もちろん、願いはあるが祈りはない。


また、自治会はじめ社協、男女協、人権委、民生委員、老ク連などのサポートをしたり、青育連(青年団的働き)、子育連、学校行事、地域行事に関わったり、地域防災(消防団)、環境整備などにも駆り出される(予算に関しては、よくわからないが。選挙の投票所で受付をしたりする人達は、上記の人達が関わっている。彼・彼女らは大方推薦で決められているが、それまで関わったものや内部にいるものの意志が大いに反映されるのは否めない事実であろう)。
つまり、昔ながらの働き等は、それぞれの役割を細分化して目的に合わせて、構成員がゆるく共同で動く場合もあり、役割も曖昧であり、組織も時間に余裕がある年配者に多く依存している場合が多い。


一市民、一国民として見たものをそのまま伝えているが、国によってはどのように、機能しているか、もっと知りたいものである。

どうしたら、よりよい場となるかは、小さいところから立て直していくことも必要であると思われる。

もちろん、器があるだけでは、成り立たないのは言うまでもない。

また、思想信条などは抜きにして、現実問題として、自治条例において、外国人参政権の代替案的なものとしていこうとする勢力があるとするなら、国の細部から乗っ取られる可能性は無きにしもあらずなので、市民の、国民の目を光らせておく必要があるのは言うまでもない。

にしても、気になるのは、ウイグル自治区等と表向きに言う「自治区」という言葉である。

311以降、苦しい状況は続いていると思われる東北から東に日本人を追いやり(かつてのアイヌのように)、比較的豊かであると思われる西日本などを、中国の一省、東海省にするなどという妄想をもっているという北京であるならば、当然、武力でゴリ押ししてくると思わないほうが、むしろおかしい。

ウイグルの人は言葉を奪われつつあり、虐殺されてもいる事実に目を背けてはいけない。

先だっての、福岡県に中国人の職員が研修で派遣されるという話があり、勉強に来るという話であったが、どう考えても、日本のウイグル化のように思えてならない。

水処理に関する視察もしたいという話だったが、技術などもスパイされ、パクられ、乗っ取りされる危険性を現場の者が持っていないことに危機感を持つ次第である。

中国の侵略にあっているウイグル人の多いところで核実験を地元の者の許可など取るはずもなく勝手に汚染したりするのをみるにつけ、その為誘発地震が起こったりすることの意味をよくよく日本人は考えなければならない。

あの中国の一地方新聞がヒロシマ・ナガサキの核のキノコ雲について、悪びれもせず記事にしている時点で、核の暴力的威圧を受けていると思わない鈍感さ、平和ぼけした日本の能天気さを憂いている。






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Commented by gall_gall at 2014-07-12 21:58
中国共産党はウイグル族をシシカバブー(ケバブ)の具材の一つとしか考えていません。
Commented by akikomichi at 2014-07-12 22:15
gall_gallさん

本当に。
追い出されて初めて分かるというものなのでしょうが。。。
by akikomichi | 2014-07-12 00:49 | 日記 | Comments(2)