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朝鮮産・洋公主のヤミ歴史…朴正煕が設計した国家売春

http://dogma.at.webry.info/201309/article_1.html

朝鮮産・洋公主のヤミ歴史…朴正煕が設計した国家売春


〜〜〜〜〜〜〜以下抜粋〜〜〜〜〜〜〜〜


しかも、米軍向け売春システムを整備した人物が朴正煕だった。


【朴正煕が作った赤線地帯】

1950年に朝鮮戦争が始まると、駐留米軍の急増にあわせて洋公主も膨れ上がった。記録によれば、激戦中の51年に釜山だけで慰安所の新設は74件にのぼっている。

洋公主の“活躍”は、朝鮮戦争が休戦しても終わらなかった。駐留兵士向け性産業が拡大する中、米軍は性病の蔓延に悩み始める。1957年にはOEC(米経済調整官室)も参加し、政府間協議が行なわれた。
▼売春施設に群がる米兵(BBC)


米側の申し出によって南鮮政府は、社会保健部直轄の性病診察所を基地周辺に47ヵ所設置。洋公主を一定のエリアに隔離するなど国家による統制・管理を進めた。

米軍基地周辺の性病診察所付き隔離エリアは「基地村」と呼ばれ、東豆川やソウルに近い議政府(ウィジョンブ)は、急速に繁栄した。議政府は2002年に米兵の装甲車ひき逃げ惨事が起きた場所だ。

そして1961年、軍事クーデターで李承晩を追放した朴正煕は「基地村」の本格的な整備に乗り出した。朴正煕が制定した観光事業振興法は、ドルを稼ぐ洋公主を公式に認めるものだった。
▼基地村の洋公主1959年頃(ハンギョレ)


この観光振興法は、売春を禁じた「淪落行為防止法」に抜け道をつくり、いわゆる「赤線地帯」に法的根拠を与えたのである。朴正煕は梨泰院(イテウォン)など全国36ヵ所の基地村を赤線地帯に指定した。

朴正煕は、セマウル(新しい村)運動の提唱で知られるが、それ以前に売春村を開発してたいたのだ。64年には米軍向け施設の売り上げは、900万ドルを超え、国家の外貨収入の10%に及んだという。
▼クーデター直後の朴正煕ら


また70年代になると京畿地方だけで年間800万ドルの外貨が洋公主の収入になったという京畿道観光運輸課の公式調査も存在する。基地村は、南鮮経済を支える巨大売春産業であったのだ。

朴正煕は70年代に基地村浄化運動に取り組んだとされる。しかし、それは性病検査を徹底し、行政組織が洋公主の英会話教室を開くなど、性産業の発展に寄与するものだった。
▼南鮮国家売春の父・朴正煕



朝鮮の伝統産業をシステム化した中興の祖が朴正煕である。この偉大な父親の“功績”を無視し、捏造慰安婦問題で我が国に因縁を付ける資格など、パククネにはないのだ。


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これがもし本当なら、恐ろしい売国奴であり、女性の権利をいう資格もない。

売春を取り仕切った張本人の娘が何を言っても信頼出来ない。

もはや己の罪を日本になすりつけるだけなすりつけて、自分で行ったことには目をつむり続けることはできないであろう。

そもそも慰安婦を集めその売春を斡旋し、使用していたのは日本軍ではなく、日本人としてそこにいた朴槿恵の父親世代の(国籍が韓国人になったとたんに自分の責任から逃げつづける)軍人、そのものではないか。

今は韓国人として、関わりがなかったようにしているが、もう知らぬ存ぜぬは通用しないのである。


見難いことは醜い。


もう、過去ばかり見るのではなく、その己の罪を認め、此のようなことが二度とおこらないように、お互いに前を向くべき時ではないのか。


女性も男性もいくら貧しいからといって、身を売るべきではない。

男も女も買うべきではない。

戦時下でなくとも、これからについても、当然の事を、当然と言える事のほうが必要である。

オリンピックなどでも、このような馬鹿なことが行われないようにしないといけない。

観光事業振興法という名目のもと、売春地区がはびこったように、いわゆる「特区」扱いのカジノ合法みたいなものを進めている者達のやることは似たようなものであり、売春の温床となるような裏金バブルカジノなどは、日本に決して作ってはいけない。

見せかけの、どうでもいいことに血税をつっこまれるのは、絶対、許せない。
by akikomichi | 2013-10-01 16:53 | 日記 | Comments(0)