引揚孤児と犯された女たちの記録 

引揚孤児と犯された女たちの記録『水子の譜』上坪隆 徳間書店 昭和史の記録より

福岡の博多駅近くの聖福寺境内において聖福寮という当時のお金で30万円程のバラックが作られ、そこで引揚孤児の一時避難所的役割を担っていた。
福岡友の会青年部と京城帝大の医師グループが中心となって、その後昭和二十二年、日本に児童福祉法が制定されると保育所となって認可され、引き揚げ孤児や母子家庭だけでなく、共働きをする母親たちにもその門戸が解放された。

昭和23年になると海外からの引き揚げ業務は終わり、在外同胞援護会救療部の役目を終えた。

引き揚げ孤児 164人
宿泊託児   49人
昼間託児   78人
臨時託児   65人
保育園児   625人

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それぞれの戦後があった。

著者の上坪隆は旧満州の通化というところで終戦を迎えたと言う。
朝鮮と国境を接し、白頭山が遠くに見える軍にとっては要害の地であった。戦後、北からの難民が多数逃げ込んできて、山の中腹にある日本人街に寿司詰めに収容された。
発疹チフス、コレラ等が流行し、死者が絶えなかった。
この町はまた、中国の革命戦争の舞台となり、市街戦が繰り返され、日本軍の残党が蒋介石軍と結託して日本居留民を動員して戦い、多くの一般日本人が殺された。
「通化事件」と呼ばれる事件だが、このとき、著者は目の前で何十人もの人が殺されるのを目撃した恐怖の体験を持っていた。
千人を超す屍体が裸にされ、凍土の上をすべらされ、川の中に捨てられたのを見たと言う。

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二日市保養所の誕生

博多港から車で約四十分のところに二日市温泉郷がある。近くに太宰府もある。その一角にある武蔵温泉に「二日市保養所」は作られた。その後、済生会二日市病院となり、鉄筋コンクリートの近代的病院になっている。

日中戦争が始まると愛国婦人会福岡県支部の手に移され、負傷兵の保養所になったが終戦後は空き家同然のこの地を「二日市保養所」とした。

昭和21年6月10日付けの医務主任橋爪将医師の自筆の二日市保養所現況報告によると、

 病類別に収容患者を見るに、不法妊娠最多にして47名、性病11名、その他婦人科疾患3名、内科疾患5名なり。
 不法妊娠を地区別に分類するに北朝24にして最多、南鮮14、満州4、北支3の順序にして鮮人に因るもの28、ソ連人に因るもの8、支那人に因るもの6、米人に因るもの3、台湾人、比島人に因るもの各1なり。

 不法妊娠とは、引揚者である一般女性に対する外国軍や通過する旅すがら部落の男たちから受けた強姦による妊娠のことである。

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この強姦の事実を直視することが必要である。
一般の日本人女性を強姦した、韓国、中国、その他の国の軍関係者とそれに連なる強姦者を強く告発する。
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by akikomichi | 2012-08-17 11:21 | 日記 | Comments(0)