混合民族論と単一民族論 〜『単一民族神話の起源』より〜

『単一民族神話の起源』より以下抜粋

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 パリ講和会議で人種平等提案を提出した日本は、差別なく異民族を混合同化した歴史をもつものであり、、、、

 日系移民の完全排斥が決定された1924年、『日本及日本人』に掲載された中山哲という人物による論考は、こうした論調の一つの極限である。

 この論考は、「日本の使命はアジアの盟主となって、白色人種の手に奪われているアジアを、再び我等アジア民族の支配に回復し、白色人種が口癖に唱えていた正義人道の神髄を、白色人種に実行によって教えてやることだ」と始められる。

 だがそれに続いて、「日本は自ら人種の差別を行っているではないか」「朝鮮民族の問題を解決せざる中は、日本人は正義人道を唱へ、人種差別撤廃を叫ぶ資格はないのだ」という。

 当時、たとえば北一輝の『国家改造案原理大網』のように、「朝鮮問題は同人種間ノ問題ナルガ故二所謂人種差別撤廃問題ノ中二入ラズ」などと強弁する論調もあったなかでは、むしろ良心的な部類に属するものといえた。

 中山は、朝鮮を手放すことはできないとしたうえで、「欧米人の解剖癖に反する、日本人の総合性こそ、実に日本の今日ある心理的基礎である」として、同化による差別撤廃と融合を唱える。

 その論拠は例によって、「日本は人類学上より見て、混合人種に属し、大体に於いて朝鮮、支那、アイヌ、マレイの四種族の混合でありながら、毫も国内に於て、民族的確執なきは、同化力包合力の偉大なるによるものである」というものだった。

 そして、朝鮮同化のために、このような「方策」を提唱する。

 その方策とは、朝鮮人の姓名を全部、命令によって日本的な姓名に変更し、全朝鮮人の原籍を一度悉く、日本の内部に移し、朝鮮に寄留せしごとく改めて、彼等が朝鮮人であると云うことの証拠を、全部湮滅せしむることである。

 昨年の大震災に際し、鮮人と邦人とは全く容貌上より区別することができず、僅かに誰何によって判定した程、鮮人と邦人とは容貌体格上の差異はない。されば、朝鮮人の姓名を全部、邦人の姓名に変更さへすれば、全く鮮人たることが分からないであらう。さすれば鮮人と知るが故に、軽蔑し居たりし感情は、日本人より全部亡くなってしまふのである。


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 今聞くと、このような朝鮮の方にとっては迷惑といえる発言と捉えられかねない、「中山哲」と言う人の人物像を紐解く必要があるであろう。


 あくまでも「差別」ではなく「事実」として認識する必要があると判断された場合として書かせていただいているのであるが、日本人と名乗りいつつも、この中山という姓の方には日本では一般的に在日の方が多いと云われており、この説が正しければ、これは移民したものが祖国に対し、自分のように移民先の日本に同化しなさいと言っていることとなる(誤解されないように断っておくが、自分にも同級生に中山君という人がいて差別等も考えたことはなかったし、同じ机を並べ調理自習の時等は牛蒡の削ぎ方がなってないと檄を飛ばされたりしながら、色々ふざけてわらったりしながら作ったような楽しかった思い出しかない)。

 東洋人ではない人たちには分からないであろうが、姓において半島や大陸から日本に棲みついた方々の名前は受け継がれて来ており、例えば、「リン」チーリンさんは漢字で書けば「林」で、日本読みだと「はやし」さんとなるが、韓国にも「林」さんという姓の方がいるので、遠い昔には同一であったとする単一民族説を唱え、韓国を併合しようとしていたのは、今で云うところの「在日」の方々であったのはひとつの事実であろう。

 また、この中山哲は、




 「姓名を日本式に改めると同時に、朝鮮の言語はどうしても完全に撤廃しなければならぬ。
三十年計画で、朝鮮全道により朝鮮語を滅ぼし、彼等をして朝鮮人の根跡をなくさねばならぬ。而して日本語を喋り、日本姓であるところの新日本人は、どしどし官仕に登用し、勲功は之を賞し、雑婚によって日鮮を本当に文字通りに融合し、之に徴兵制を布くべきである。少しも差別待遇の如きはあってはならぬ。」


 というようなことを言っている。


 「「差別待遇」の撤廃には、徴兵制の施行も含まれていた。ただし中山は、こうした合併は、朝鮮民族に限り、支那や印度や、フィリッピン人は、一見して容貌を判別し得、姓名の変更は無効だからである」

 これは、見方によっては、というより、偏見性が見られる。




 著者の小熊英二氏によれば、

 〜 一切の差異を消滅させれば、差別もなくなる。この提言は、彼にしてみれば善意なのだろう。それは、喜田に代表される銭の混合民族論と差別解消論の、そして欧米に優越するという日本型メルティング・ポット論の、一つの帰結であった。創氏改名が実行に移されるのは、この十六年後のことである 〜

 というものであった。常々思っていた通り、今で云う在日の人や移民をした人たちにとって都合がいいだけのことであり、それぞれの自国で暮らす日本人にとっても、韓国人にとっても「善意」の押しつけとみえるのは、果たして私だけであろうか。

 ここから、翻って、自称「日本人」、あるいは「新日本人」が大きな推進力となって行った半島や大陸への先祖帰りのような行程の最中に、慰安婦という名の売春の斡旋業務をしていたのは現地の韓国の人であったと言うことと、それを利用した自称「日本人」が多くいたと言うことも考慮に入れ、ごり押しをしていた移民系の人たちによる「責任」を見過ごすわけにはいかない。

 
 その同じ轍を踏まないように、なぜか韓国でもない亜米利加にまで建てられているという異状性もさることながらの慰安婦の碑は抹消されるのがお互いの真の友情の芽生える可能性のある未来を目指すのであるならば、いまその認識を持っていないと思われる亜米利加政府やドナルド・マンズーロ委員長や世界の方々に対して、日本人と韓国人は、それぞれが被/加害者として認識し、売春業を営んだ人たちにも、その真の意味の理解を願う。 
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by akikomichi | 2012-06-08 17:03 | 日記 | Comments(0)