関門海峡と作家・佐木隆三氏

現在の高齢化社会は、若き日をひたすら働くことに費やし、日本の高度経済成長を支えてきた世代に、どのように老いを受け入れるかという問いを否応なしに投げかける。この4月に75歳となった作家・佐木隆三氏は今、故郷の海を見下ろす山荘で愛猫と暮らす。自らの老境について語った。

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 北九州・門司港。大正3年築のモダンな駅舎や煉瓦造りの倉庫街を今も残す街並みは、近年「門司港レトロ」として観光客や鉄道ファンから一際の人気だが、作家・佐木隆三こと本名・小先良三氏にとっては「生まれて初めて見た祖国」が、ここ関門海峡だという。

「私は1937(昭和12)年、現在の北朝鮮の生まれで、広島から半島に渡って同地の鉱業会社に勤務していた父の出征後、母は僕ら4人の子供を連れて日本へ引き揚げ、関釜連絡船が港に着いたのは昭和16年暮れのよく晴れた日のことでした。

 北朝鮮は地下資源に恵まれるぶん、全体にごつごつした岩山が多いんですよ。それだけに海も山も青く、陽光に映えてキラキラ輝いている関門海峡の景色が僕には眩しくてね。ああ、日本はなんて美しい国だろうと、幼心に感激した。今日は少し風が強いけれど、ここからだと関門橋がすぐそこでしょう? この景色が毎日見られるだけで、僕は満足なんです」

 と、氏が指さす先には本州と九州とを繋ぐ関門橋が悠然と佇み、源平の古戦場・壇ノ浦や大瀬戸と呼ばれる水路を貨物船や小舟が盛んに行き交う。1999年8月、東京・杉並から故郷に移り住んだ佐木氏は、その後門司港を一望する高層マンションを経て、山の中腹に建つここ「風林山房」に居を定めた。

 元は割烹だった和風家屋を周囲の山林共々買い求めて改装し、贅沢に窓を取った各室からは書斎にいても寝室にいても海が望める。中央の座敷では地元の仲間と酒を酌み交わすことも多く、風林山房の名は氏の古い友人で下関出身の直木賞作家・古川薫氏の命名という。

 もっとも同居人は今のところ、山荘から名前を取った愛猫「ふうちゃん」(♀)だけ。40年来連れ添った夫人とは昨年7月、正式に協議離婚が成立し、佐木氏は目下、75歳にして独り身なのである。

「世間的に見れば熟年離婚ならぬ“老老離婚”といいますか、要するに私は後期高齢者の一歩手前になって妻に愛想を尽かされ、捨てられた男というわけです。元妻だった人は石垣市出身で、私が沖縄の本土復帰取材に通っていた頃、まだ20歳の教育実習生だった彼女と出会い、そのさらに前の妻と離婚が成立後、周囲の反対を押し切る形で再婚したんですけどね。

 私は18歳で入った八幡製鉄を27歳の時に辞め、30歳で東京に出て38歳で直木賞を受賞し、以来馬車馬のように働いてきた。せめて60歳過ぎたら故郷で暮らしたいと、九州に骨を埋める覚悟で帰った私に、彼女は『東京のあなたと結婚したのであって九州の人と結婚したつもりはない』と別居しました。

 そうは言いながら一度は住民票を移して北九州市立文学館の館長を務める私の妻として振る舞い、小倉のマンションで何年か暮らしたんですがね。やはり付き合いきれないということで、今は娘たちのいる関東のどこかにおるはずです。特にこの山荘にはほんの少しいただけでしたね。私が毎日海を眺めるか畑をいじるかして酒ばかり飲んでるというので、つくづく嫌気がさしたらしい。でも70過ぎて酒でも飲まなきゃ、他にすることなんてないじゃありませんか(笑い)。

 今は娘も含めて葉書一枚寄越しませんし、会っても意味がないのでもう会わないと思いますけど、彼女には結婚当初から随分迷惑をかけたので私なりに恥ずかしくないことはしたつもりです。私にはこの山荘だけ残して、マンションを売った金にも幾らか足して渡しましたし、彼女は私より13年下なので、あまり歳を取らないうちに別れられて良かったと思ってくれているんじゃないですか(笑い)。まあ自分なりによく出来たかなと、一方的に思っていますけど」

※週刊ポスト2012年5月4・11日号

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詩のボクシングで北九州文学館を使用させていただき、大変お世話になった館長の佐木さんですが、門司にお住まいでしたか。

先日、小高い山の上にある和布刈公園に父母と子どもを連れて(だんなはんは仕事で来られず残念無念かと。。)櫻を見に行って来たばかりでしたが、近くにある和布刈山荘がなくなると聞いて、こういったところにも風当たりが強いものなのかなと思ったりもしましたが(それでもめげずにリニューアルしたりして)櫻が吹きすさぶ中、自分の中の海の見える坂道への郷愁のようなものは、あそこから生まれたと確信しました。


実は自分も、幼い頃、父の国際交流基金かなにかで柔道の講師として最初に仕事でイランに行く前に門司にすんでおり、確か行く直前かに、レトロな銀行前で醤油屋さん?が我が家の車に激突してきて、路上が醤油色に染まり、黒々と光るほんのりとした醤油臭と衝突の衝撃と相まったシュールな場面をたまに思い出したりもするのですが、妙な幼児体験(多分四歳位だった?)をいつまでも覚えているもので、そんなことを思い出しながら古いしなびた紙魚を持つ煉瓦を探すようにレトロな町を散策したりしておりました。


花火の頃は、ずいぶん、にぎやかなところではありますが。

子どもたちも、あの景色や風や空気や海の色をどこかで思い出してほしいものです。

毎日、あの海が見える場所にお住まいなのは、うらやましい限りです。
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by akikomichi | 2012-04-27 08:53 | 日記 | Comments(0)