竹島は日本の領土

竹島についていかに韓国が違法な不法占拠をしているか。をもっと世界が知らなければならない。

亜米利加のホワイトハウスに二万ものメールを送って日本への侵略行為を数と声の大きさでごり押しし工作をしようとしているだけであり、明らかに国際法違反をし続けている韓国は即刻、日本に謝罪し、今も続く侵略をやめるべきである。



以下ウィキより抜粋。

概要

1905年(明治38年)1月28日、日本政府は島根県隠岐島司の所管の竹島と閣議決定し[1]、以降、竹島は行政区画では島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地であり、正式に日本の領土となった。

日本が放棄する地域に竹島を入れるようにとの連合国への韓国の要求が拒否され、日本領として残されることを決定したサンフランシスコ講和条約発効直前の1952年(昭和27年)1月18日、大韓民国大統領李承晩は李承晩ラインを一方的に設定して竹島を占領した[2]。1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに韓国により、このラインを越えたことを理由に日本漁船328隻が拿捕、日本人44人が殺傷、3,929人が抑留された[1]。海上保安庁巡視船への銃撃等の事件は15件におよび16隻が攻撃された[3]。

2011年現在韓国が武力によって占有しているため、日本との間で領土問題が起きている。

地理・自然

竹島は、北緯37度14分30秒、東経131度52分に位置する[4][5]。

女島(東島)、男島(西島)と呼ばれる2つの小島とその周辺の総計37の岩礁からなり、総面積は約0.23km2で、東京の日比谷公園の1.4倍、東京ドーム五つ程の島である。最頂部は男島が海抜168m、女島が海抜98m。周囲は断崖絶壁で、飲料水に乏しく、通常は人の住むことができる環境ではない。

日本領・隠岐と竹島の距離は両島の一番近いところで約157km、韓国領・鬱陵島と竹島の距離は両島の一番近いところで約87kmである[6]。

生態系
竹島周辺の海域は対馬暖流と北からのリマン海流の接点であり、魚介藻類が豊富な好漁場である。

竹島は伊豆諸島と並んでニホンアシカ(Zalophus californianus japonicus)の主要な繁殖地の一つであったが、1975年の目撃を最後にそれ以降の目撃例は報告されておらず、ほぼ絶滅したと考えられている。竹島における絶滅の原因は、同島を占拠している韓国による竹島の要塞化に伴う自然破壊であるとする説もある[要出典]。


韓国は国際司法裁判付託を拒否
竹島領有権問題に関して、これまで日本政府は何度も国際司法裁判所(ICJ)に付託してはどうか韓国側に提案してきたが、いずれも韓国側は拒否し続けている。

日本政府は1954年9月25日に韓国に対して国際司法裁判所(ICJ)への付託を提案したが、韓国は拒否。
1962年3月に行われた日韓外相会談の際にも、小坂善太郎外務大臣がICJ付託を提案したが、韓国は拒否した[11]。
1962年11月に訪日した金鍾泌中央情報部長に対して、大平正芳外相が竹島問題をICJに委ねる事を提案したが、これも韓国側から拒否された[12]。
なお当時韓国は国連に加盟していなかったが、加盟していない国でも国際司法裁判所に付託することが可能である[13]。

国際司法裁判所(ICJ)への付託は、紛争当事国の一方が拒否すれば審判を行うことができず、つまり強制管轄権はない[14]。したがって、韓国政府が同意しない以上竹島領有権紛争をICJで解決できない。しかしながら、領土問題をICJで解決した事例は16件に上る(領土問題#国際司法により解決した領土紛争参照)。

韓国軍による日本人漁民殺害や日本漁船拿捕
1952年の李承晩ラインの宣言から1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに韓国軍は、ライン越境を理由に日本漁船328隻を拿捕、日本人44人を殺傷、3,929人を抑留し[1]、海上保安庁巡視船への銃撃等は15件におよび、16隻が攻撃された[27]。

1953年(昭和28年)1月12日、韓国政府が「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕して以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件が相次ぎ、日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となった。同年2月4日には第一大邦丸事件が発生した。済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。また日本人漁師の瀬戸重次郎が殺害されている。
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by akikomichi | 2012-04-06 08:27 | Comments(0)