2012年 03月 11日
「遠野物語」の第99話に、明治三陸津波(1896年)
震災1年を前にした10日、岩手県山田町の長根勝さん(52)は一人娘の璃歩(りほ)さん(15)と自宅のあった船越地区を訪れた。「ここが玄関、あそこがおばあちゃんの部屋だったな」
多くの人が避難した裏山へ通じる階段を上るうち、2人は無口になった。視線の先に、流された鳥居の跡から小さな命が三つ芽吹いていた。
「お、ふきのとうが出ている」
「すごい」
父娘は顔を見合わせてほほ笑んだ。
◇
保険外交員の長根さんは母享(きょう)さん、妻のり子さん(51)、璃歩さんと4人で2階建ての家に住んでいた。
大地震に襲われた時は仕事で隣の宮古市にいた。勤務先にいた妻の無事はメールで確認できた。娘がいる中学校は高台に建っている。78歳の母は自宅にいるはずだが、近くに高さ8メートル以上の防潮堤がある。さほど心配はしていなかった。
だが、戻った街は真っ赤に燃えていた。翌朝ようやく自宅に向かうと、防潮堤は壊滅していた。駆け寄ってきた近所の女性が泣き崩れた。「勝くん、母さんが流された」
膝が悪かった母は裏山への階段を上りきれずに流されたという。がれきだらけの自宅跡に座り込んだ。百余年前の先祖の姿が自分と重なった。
東北の伝承を集めた「遠野物語」の第99話に、明治三陸津波(1896年)で妻と子2人を亡くした男「福二」が、妻の幻影に誘われ浜に一晩立ち尽くすという話が収められている。福二の4代後の子孫が長根さんだ。
物語は福二のその後を「久しく煩(わずら)ひたり(長く病んでいた)といへり」と結ぶ。そのせいか、父も祖母もこの話をしたがらなかった。教えてくれたのは母だ。「本買え。遠野物語にうちの話がある」「先祖のことだから、しっかり覚えとけ」
長根さんは母を捜して遺体安置所を巡り歩いた。体の一部しかない遺体。焼けた遺体。7月上旬、訪れた安置所で赤ちゃんの亡きがらを見た。目を見開き、手を伸ばしたままだった。「抱っこして」とせがんでいるように見えた。「おまえは何のために生まれてきたのか」。涙が止まらなくなった。これ以上遺体を見ると自分がおかしくなると思い、安置所回りをやめた。
数百もの遺体を見ながら、思ったことがある。「自分の先祖以外にもたくさんの悲しみがあったはずなのに、その物語はどうなったのだろう」
明治、昭和の大津波を経て被害の記録は残されたが、悲しみは風化したのではないか。福二のことを伝えた母の思いを、自分なりに理解した。
「ただの教訓ではなく、じいちゃん、ばあちゃんから口で伝えられた話こそ力を持つ。一人一人が血の通った物語を語り継ぐことでしか、次世代の悲しみはなくせない」
現在、山田町内の仮設住宅で暮らす。家を建てる場所を決めかねているが、この町を離れるつもりはない。
今年に入り、流失した家系図の復元を始めた。近い将来この図を璃歩さんに見せながら、先祖の物語を伝えよう。そう心に決めている。【奥山はるな】
by akikomichi
| 2012-03-11 13:43
| 日記
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