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『日本海』

雲が重くのしかかる。
薄ら寒い真夜中のことである。
日本海からの荒い波が夢を覆い隠すうっすらとした天幕のように、眠気を誘う道を走った。
車の外は、波と踊るように風が俟っている。

私たちは時を突き進む音のタイムカプセルのように車を走らせていた。
線路はない。
道を少しでも踏み間違えたら、一気に日本海から突き出された無数の舌先のような波に、飲み込まれてしまう。
日本海は生きている。
魔物のように、見えそうで見えない荒ぶる神そのもののように、波打ち、人間や道やそこに住むものを銜え込み、一気に何事もなかったようにさらってしまうのだ。
昔見た夢を思い出していた。
あの夢は、とても奇妙だった。
青年将校のような格好をしたものが、波打ち際で浮かび上がり、日本海や日本を取り囲む海を見回っている夢。
彼らこそが、波であり、風であり、海であった。
人は思いを残して死ぬと、そのように漂うものなのかともただ漠然とそう思ったが、そもそも思いを残さず死ぬこと等あるのであろうか。
そこに残るものは、思いだけでもなく、灰になり微粒子となった見えにくい存在は海に帰り、波となり、風となりうねりを上げ、空に帰りゆくものではなかろうか。

その後、なんとはなしに入ったとある資料館で226事件の青年将校が死ぬ直前に書いたであろうものを見たとき、波を漂う一つの思いをはっきりと見せつけられた思いがしたのである。

思いは日本海を漂っている。その時、漠然と、そんな気がしたのであった。


昨日、生まれたばかりの友の赤子を見た。
すやすやとよく眠る、髪の黒々した、美しい指先の嬰児であった。
目をうっすらと上げて微笑んでいるようにも見えた。
人は生まれたばかりであっても、声を張り上げ哭くことで肺に空を送り込み、羊水から弾け飛ぶ沫にくるまれ、内部も満たすことを成し遂げながら、ふと気付かぬうちに、どうしようもないゆるんだ笑みを浮かべてしまったような、自然(じねん)の笑みを浮かべ、死と生を漂いながら、たゆたうように笑うのだ。

友は自宅でくつろぎ涅槃でまっているように、それを見ていた。


腹の中の海に浮かんだ胎児よ。
日本海に浮かんだ日本よ。
生れ落ちたのはいつのことか。
昨日、生まれたことのようで、脈々とそこにあった海よ、島よ。
そこにある限り、その名を千代に八千代に忘るることなかれ。



今日は息子が生まれた日であった。
そうして、私たちは日本海を見に来たのだ。
by akikomichi | 2012-03-01 13:01 | 小説 | Comments(0)