『日韓がタブーにする半島の歴史』室谷克美 新潮新書

ひさしぶりに古本屋で東京裁判の本とともに『日韓がタブーにする半島の歴史』という本を手に入れる。

何がタブーなのか。

至ってシンプルな論説である。

半島の基礎は、昔 脱解(セキ タレ)という「倭種」のものつまり倭国の血を持つものががつくった。ということであろうか。


戦後、そういった言説はすべて皇国史観として、あたかも嘘のように決めつけられる流れを、早稲田大学に留学し「三・一独立宣言」の起草者でもあり、戦前は日本の国策大学とされた満州建国大学の教授をしてそれ相当の富と名誉を得ていた人物として扱われていたであろう「崔南善」などが書いた。
竹島の間違った由来を李承晩政権に吹き込み、その公海不当囲い込み(李承晩ラインの設定=竹島の不法占拠を含む)に決定的な役割を演じている(下条正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004年参照)ことなどが書かれていた。

半島が行っていた稲作が渡来し、鉄製品や古墳等もやってきたとまことしやかにささやかれ、それが通説のように信じ込まされている昨今の歴史を紐解かないものには目から鱗のことばかりである。そういった戦後押し付けられた言説を丁寧に覆していく。

半島に残されている高麗王朝時代の『三国史記』金富シュ(1123〜46年)や『三国遺事』一然(1206〜89年)や、中国の『隋書』などに書き記されたことをもとに、論じられている。

「新羅本紀」は冒頭で、初期新羅の中核国民が「朝鮮遺民」(『三国史記』が編纂された時代の朝鮮は、楽浪郡や中国東部を指す)だったこと ー つまり、中国や楽浪郡からの逃亡者だったことが述べられている。
その後、新羅の国づくりを指導したのは 脱解 や 瓢公であると。
脱解 は明らかに多婆那国から追放された人間(卵!)として描かれている。
腰に瓢箪をぶら下げて海を渡って来た 瓢公 とは ー 倭国に属した狗邪韓国を迂回して、わざわざ新羅まで行ったとなると —政治的亡命者か、逃亡者だった可能性は強い。
『隋書・新羅伝』によると、新羅の金王室について、「百済(馬韓)から海路、新羅に逃げて」と記している。
高句麗の初代王も扶餘国から逃げてきたと『魏書・高句麗伝』も『梁書・高句麗伝』も書いている。
「逃亡民が造った国」とは、倭国ではなく、新羅であり、高句麗であり、百済であり。
農業指導に長けていた倭種の王を「聖人」と崇めたのは新羅の人民であり、新羅も百済も、倭国を文化大国として「敬仰」していたこと。
そして、倭国が半島南部に確固たる基盤を築き、韓族を尻目に早くから漢と直に繋がっていたこと。

韓国に漢字を読めない人が多くなってきており、自国の歴史書を紐解けるものがなく、都合のいいように歪められた教科書に載っているものだけしか知らないということは不幸である。

それは、戦後、言われるままに鵜呑みにして来た、我が日本でも同じことが言えるであろう。
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by akikomichi | 2011-08-04 13:27 | 日記 | Comments(0)